野球界から消えない感情論

野球人口減少の原因となっているとも言える野球界から消えない「怖い」という偏見。ここで今回は怒る、叱るについての持論を書いていきたいと思います。
まず、結論からいうと自分は別に強く注意するというのは悪いとは思いません。なぜなら伝えようとしてることがちゃんと伝わればあとは選手の性格しだいだと思うからです。ですが自分は感情論というのが本当に嫌いです。
具体的に見ていきましょう。例えば、一塁まで全力疾走しない選手がいたとします。そういった選手は指導者の逆鱗に触れるのは必至です。
しかしその怒り方によって変わると思います。
その全力疾走をしない選手に、

「おいてめえ、全力疾走しろや。セーフになろうって気はねえのか。」

って叱るのは悪いとは思いません。それはちゃんと全力疾走しなければいけない理由も述べられていますし指導にはなっています。なので選手がどう感じるかによってそこは指導法を変えればいいと思います。しかし、走らない選手に

「は?舐めんなや。もう要らねえよ」

とただ感情任せに怒ったらどうなるでしょうか。
それは指導ではなくただのストレスをぶつけるだけであり、選手にも伝わりにくいと思います。
ほかの例でも見ていきましょう。例えばノーアウト3塁でピッチャーゴロでサードランナーが飛び出してしまいました。
そういう時に指導者が

「なんでだよ。今のは抜けてからゴーだろ?それはちゃんと分かってたのかこの野郎。」

そう指導するのはいいと思います。一応指導にはなっているのであとは選手の性格しだいなのでなんとも言えません。ですが

「は?ふざけんな。殺すぞてめえ。」

そう指導したら何も選手には伝わらないと思います。
このように指導と威圧は違うと思います。
指導者が指導するのが強くなるのは良くても、指導者が感情任せに威圧する、それは意味が無いと思います。威圧というのは自分が何も教えることが出来ないことを隠すために怖がらせるだけの無意味な行為だと思いますし、選手と指導者の関係を揺るがせかねない行為だと思っています。
YouTuberあめんぼぷらすさんのしょーたさんと同じ考えなんですが罰走というのも必要が無いと思います。試合でエラーしたから走らせる、それは守備力に問題があるわけで守備の練習をするのと走らせるのではどちらが必要なんでしょうか?
試合で走力が足りなくて走らせるならそれは正しいと思います。
ですが普通に考えてもしあなたが学生で数学の成績が悪かったのに親に漢字の勉強しろって言われたら疑問に思わないのでしょうかね。
2秒考えれば分かりますよね。野球界もいい加減感情論というのは捨てるべきだと感じました。
仮に練習試合に負けたらグラウンド100周と言われてそれがいい結果を産んだとしてもそれは練習試合でしか通用しませんし最後の夏の大会で罰走がかかってる訳でもないのでね。
またもうひとつ自分が大っ嫌いなのが帰れという言葉です。自分も練習に遅刻して帰れと言われ半泣きで反抗したこともあります笑

遅刻した?帰れ。

トンネルした?帰れ。

三振した?帰れ。

それは指導者が腹が立って帰らせるだけで正しい判断だとは思えませんね。
遅刻したなら時間に余裕を持たせる指導をする。
トンネルしたなら腰を低くさせる指導をする。
三振したなら原因を分析しそれを修正する。
それが改善への近道ではないのでしょうか。
それを強制的に帰宅させるのは指導者が一時的に快楽を得るだけで選手は改善するチャンスを失い、周りの選手は萎縮しなんの改善にも繋がりません。
仮にその選手の行動が輪を乱すものだとしても、その選手だって選手としてチームの力になりますしそれを改善させるのが指導者の役目であると思うので。帰れというのは指導者にとって都合がいい言葉ですがなんの意味もないですよね。
鎌学の竹内先生も帰れという観点ではありませんが大利実さんの本で人間的にダメな選手も勝つために必要な力なので改心させるという考えと述べていましたし。
このように、野球には未だに謎な感情論があります。
打撃の自主練習の合間に書いたので結構文が雑になりました。いつかもう1回ちゃんと書き直します。
今日も読んでくださりありがとうございました。良ければシェアしてくれると幸いです。

キーちゃん

野球はそんな詳しくないですが神奈川中心に高校野球について書いていきたいと思います。 Twitter→KGkichan_280429

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